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30のお題
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JET戦兵―モノカキさんに30のお題-03




2003/5/20(火)
   鬼

ここはどこだろう。

娘は山菜取りの手を休め、ふと顔を上げた。いつの間にか随分山奥まで入って来てしまったようだ。山の奥には鬼が棲む。ふと、そんな話を思い出す。もう日が傾きかけている。ふいに娘を恐怖心が襲い、飛び出すように走り出した。

どこまで走っても見知らぬ風景。山は深くなるばかり。夕闇と共に押し迫る不安から逃れるように娘は夢中で走った。前を見ることばかりに気を取られ、木の根に蹴つまずいて勢いよく転ぶ。痛い。足を挫いたようだ。痛い。暗い。寒い。怖い。娘は声を上げて泣いた。

どれ程の時が経ったろうか。ふと感じた人の気配。娘が顔を上げると、一人の男が目の前に立っていた。木の皮のようなかさぶただらけの肌。落ち窪み濁った瞳。ばさばさの髪。その薄暗がりに浮かぶ醜い容貌。鬼だ。山の奥に棲むという鬼だ。娘は逃げようとしたが、足を挫いている上腰まで抜けて、立つ事すら叶わなかった。

鬼が何事か口にした。だがそれは、ただ、うう、うう、と呻いているようにしか聞こえなかった。鬼が娘に手を伸ばす。取って喰われる。そう思って目を瞑った娘を、鬼は抱き上げ担いで歩き出した。

しばらく後、どこかへ降ろされ娘は恐る恐る目を開く。そこは粗末な小屋の中だった。鬼は水瓶を担いでいずこへか出て行ったかと思うと、すぐに冷えた水の入った水瓶と、草の束を持って戻ってきた。瓶の水で娘の腫れた足首を冷やし、草をすり潰し塗りつける。その様子を娘は一言も発せずにただ見守った。鬼は時折咳をした。その度にかさぶただらけの歪んだ唇から血が零れ、床に落ちた。少し苦しそうに、醜い顔を更に歪めながら、鬼はボロ布を娘の足首に丁寧に巻く。

手当てが終ると、鬼は再び娘を担いで小屋を出た。黙ってすっかり暗くなった山中をずんずん歩く。随分歩いて山道を下って、辺りは娘にも見慣れた景色になってきた。山裾の方にちらちらと明かりが見え、大勢の人の叫ぶ声がする。帰りの遅い娘を村人たちが探しているのだろう。鬼は娘をそっと降ろすと、踵を返した。

「あの、ありがとう」

娘が言うと、鬼は振り返って歪んだ唇の両端を微かに吊り上げてから、闇に消えた。

娘は足を引き摺りながら見慣れた山道を下る。じきに松明を手にした村人たちと合流し、口々に無事に戻った喜びの言葉を掛けられ、村に戻る。村人の一人が娘の引き摺る足に目を留めた。

「どうしたんだ。挫いたか。手当てをしてあるみたいだが。」

娘は山であった出来事を話した。村人たちの顔色が変わる。直ちに娘の足首に巻かれた布は剥ぎ取られ、焼き捨てられた。その夜、長老の家にて村の男達が一堂に会し、夜更けまで話し合いが行われた。夜更けすぎに戻った父親が母親に話す声で、娘は目を覚ました。

「明日、村の男衆総出で鬼の棲みかを焼きに行く」

娘はがばりと飛び起きた。

「やめて!あの人はきっと鬼じゃない」

両親は顔色を変えて振り向いた。

「馬鹿なことを言うんじゃない。おまえはきっと鬼の気に当てられたのだ。そんなことが他の者に知れたらお前まで焼かれてしまう」

怒る父親と泣く母親によって娘は納屋に閉じ込められた。夜気で冷えぬよう母親が一枚の着物を与えてくれた。それを被って娘は泣いた。泣き疲れた頃、空が白み始めて娘は我に返る。鬼が、焼かれてしまう。

壁板の脆くなっているところを探し、娘は夢中でそれを剥がした。木のささくれが指を刺しても、ぎざぎざになった木片が腕を擦りむいても、剥がし続けた。幸いに剥がす音は鶏の刻を作る声で隠された。ようやく自分一人が出られるだけ剥ぐと、娘は納屋から抜け出し、足を引き摺りながら山へ向かった。

鬼に担がれ来た道を懸命に思い出し、痛む足に鞭打ち走る。やがて粗末な小屋が見えた。戸の代わりに戸口に吊るされたむしろをくぐり、娘は叫ぶ。

「逃げて!村の人たちがここを焼きに来る」

寝ていた鬼が身を起こし、驚いた顔をした。

「早く!私を連れて逃げて」

鬼が何事かうう、うう、と呻いた。

「私がここに来た事はすぐに知れる。鬼の気に当てられたと思われて、きっと私も焼かれるから。一緒に逃げよう」

鬼は納得がいったようにかさぶただらけの唇を歪めて、微かに笑った。笑いながら咳きをして、また血が床に落ちた。

日が昇りきった頃、ようやく鬼の棲みかを探し当てた村人達がやってきた。小屋の中には誰も居なかった。ただ床に血の跡と、娘が羽織っていた着物が落ちているのみ。村人達は、娘は鬼に喰われたのだろうと悲しみながら、小屋を焼いた。