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作り話
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JET戦兵―作り話

2003/3/25(火)
   新発売

密やかで、絶え間ない物音。

一枚の扉で隔てられた室内からそれは漏れ聞こえていた。男はゆっくりとドアノブに手を掛ける。反対の手にはスプレー缶。男は徐に薄く扉を開くと、己の体がようやく通るほどのその隙間から、素早く室内へと身を滑り込ませた。中は何もないがらんとした部屋。性急に後ろ手に扉を閉めると、密やかだった絶え間ない物音は今やはっきりと男の耳に響いていた。

かさこそ、かさこそ、かさこそ、かさこそ。

一つ一つの音は小さいが、その音は室内のいたる所から発せられ、溶け合って一つのはっきりとした音となり、部屋中をうねるように覆い尽くしていた。暗い色をした部屋の壁が、天井が、まるでその音で出来ているかのようにざわりと蠢く。時折その蠢きにつれ暗い色の隙間から白い色が覗く。白い壁を、天井を、暗い色をした虫が覆い尽くしているのだ。

かさこそ、かさこそ、かさこそ、かさこそ。

虫たちは絶え間なく動き回る。赤茶けた暗い色の甲は、天井の中央に据えられた蛍光灯の青白い光を受け、動くたんびにてらてらと硬質な光を放つ。部屋を覆い尽くす無数の虫はゴキブリだった。ゴキブリに埋め尽くされた室内に閉じ篭るなど常人には耐えられぬ事態だが、男はそれが日常茶飯事であるかのように落ち着き払っていた。

スプレー缶を持つ手をゆっくり上へと挙げると、彼は無表情にそれを天井に向けて噴射した。缶の中の液体が霧状になって、天井を覆うゴキブリ達に勢い良く飛びかかる。ざあっと、暗い色が波の引くように割れて白い天井が現れる。逃げ遅れたゴキブリ達は、液体の掛かったところからジュウッと融けて薄茶色の液体となり、掛かった液体と入り混じってぼたぼたと床へと落ちる。融け残った肢やら触角も液体に混じってぼたぼたと落ちる。スプレー缶を掲げる男の腕にも降りかかる。しかし男は無表情のまま。再び位置をずらしてスプレーを噴射する。

プシュウッ。ざわざわ。ジュウッ。ぼたりぼたり。

天井に向けて、壁に向けて、男は何度かその行為を繰り返した。床のあちらこちらに薄茶色の水溜りが出来た。肢やら触角やら翅やらの混じった水溜り。それまで無表情だった男が、薄く満足げな表情を浮かべる。

「良い出来だ。これなら商品化できる。」

男は殺虫剤の開発をしていたのだった。色々な薬品を混ぜ合わせ、何度もこの部屋に入りその効果を試してきた。そして今日試した試作品は、今までになく効果的であったのだ。

男は上着のポケットから瓶を二つと杓子を取り出し、床に出来た水溜りの縁に屈みこんだ。一つの瓶には、肢やら翅やらの混じったままの液体を無造作に汲んで流し込む。もう一つの瓶には、丁寧にそうした不純物を取り除き流し込む。これは、廉価版と、高級版との差なのだ。さて、製品の準備はできた。あとはこの商品を世に売り出すだけ。製品自体は今までに出回っているどの殺虫剤より効果が高いのだから売れるのは間違いない。

しかし。ここまで苦労して完成させた作品だ。より効果的に、爆発的に売る為の仕上げをしなければ。

男は立ち上がり、ゆっくりと部屋の奥に向かって歩き出した。まだまだ沢山生き残っていたゴキブリ達がざあっと左右に割れて、突き当りの壁に窓が現れた。男はその窓を勢い良くがらがらと開け放つ。無数のゴキブリ達がその窓から町めがけて、或いは飛び立ち、或いは這い出し、方々に散ばっていった。これで町にゴキブリが蔓延し、殺虫剤の需要は爆発的に高まるはず。
男はゴキブリ達の門出を満足げに見送った。