光射さぬ真っ暗な部屋。自分の指先さえ見えぬ真っ暗闇。いつからそこにいるのか、少女は自分でもわからなくなっていた。
かつては毎日姿を現す男がいた。男は毎日現れては、少女の青い瞳を覗き込む。
「私を、見ろ」
少女は目を伏せ、長い睫毛の下に青い瞳を隠す。毎日、同じ事の繰り返し。ある日男はとうとう諦めた。
「愚かな娘だ」
そう呟くと男は部屋を立ち去った。その日以来少女が男の姿を目にすることはなくなった。
誰もいない真っ暗な部屋。自分の指先さえ見えぬ真っ暗闇。少女は何日も一人で、人形のように椅子に腰掛けて過ごした。
ある日、少女は一人ではなくなった。どこからか迷い込んだ一匹の小鳥。翼に傷を負った小鳥が少女の膝に落ちてきた。何も見えぬ真っ暗闇なれど、暖かく震えるその感触は確かに小鳥。
毎日自分の食事を分け与え、寒い夜には手で押し包み暖めた。
「早く傷が治るとよいね」
少女は小鳥に語りかける。
「傷が治ればおまえは自由に飛べるんだ」
小鳥はみるみる元気になった。少女の手の中小さな翼をばたつかす。
「さあ、飛んでお行き!」
少女は暗闇の中両手を高く差し伸べる。
小鳥は不器用に羽ばたいて、か細い足で少女の掌を力いっぱい蹴ったのだ。
けれど、小鳥は飛び立たなかった。翼の傷は酷いもので、傷が塞がっても飛ぶことは出来ぬほど。小鳥は少女の掌から、膝の上に転げ落ちただけだった。
少女はそっと両手で小鳥を掬い上げる。
「どうしたの?ほら、早く飛んでお行き。おまえは自由なんだよ」
勢いを付けて両手を高く上へと伸ばす。その勢いで小鳥は宙に飛び出して、そして床へと落下した。キイキイと鳴く声を頼りに暗闇の中少女は小鳥を拾い上げる。
「ちゃんと飛ばなきゃだめじゃないか。おまえは自由なんだ。さあどこまでも飛んでお行き!」
少女は何度も何度も小鳥を放り上げる。
「さあ、飛んでお行き!」
何度も床に落下した小鳥は、キイキイ鳴く声さえ小さく弱々しくなっていた。少女はそっとその暖かく小さな塊を拾い上げる。随分ばさばさになってしまった羽毛に頬を寄せて、震える声で呟いた。
「いやだよ。いけないんだ。私と同じじゃいけないんだ。おまえは自由に飛び立たなきゃあ」
けれど小鳥はうずくまったまま。
「飛び立てない翼なんて、いらない」
少女は小さくそう呟いた。
「私を映さぬ瞳などいらぬ」
最後に男の姿を目にした時に彼が言った言葉が、少女の脳裏に蘇る。
かつて青い瞳が納まっていた二つの洞穴から流れる、暖かい感触。それが無色透明なのか、赤い色をしているのか、少女には知る術は無かった。
明るい部屋、いつものように男が食事を運んでくると、翼のもげた小鳥を赤く染まった手で握り締めて、少女がいつものように椅子に腰掛けていた。